翻訳の泉 翻訳に役立つ情報や翻訳の知識

外国語の散歩道

東アジア

朝鮮語=韓国語(7400万人)と日本語(1.3億人)は、形の上ではアルタイ語族と同様に扱って差し支えないと思います。朝鮮は中国に隣接しているため、その影響が日本よりもずっと大きく、官僚文人は漢字漢文を常用していました。江戸時代に代替わり毎に朝鮮から通信使が来ると、日本の文人達は競って使節団との交際を求めました。この時代でも朝鮮は漢文化の先生だったのです。その代わり朝鮮語による文学文化の発達は遅れました。その遅れを取り戻すべく十五世紀に創造されたハングル諺文は音韻の分析に基づく科学的なものですが、これはチベット文字を改良した元代のパスパ文字にヒントを得て、母音字母と子音字母を組み合わせて音節文字を作るその構成原理を採用し文字と発音を関連づけたものです。どうしてと思われるでしょうが、その百年近く前まで朝鮮はモンゴルの属国になっており、高麗王朝の太子は人質として元の宮廷に滞在し、かつ代々モンゴル王族の女性を妃とし、モンゴル名まで持ち、モンゴル宮廷文化を熟知していたのです。平田篤胤ら江戸時代の国学者達が漢字到来以前から日本には文字があったと主張した神代文字の一つ「日文ヒフミ」はハングルの剽窃です。日本語には借用語以外に朝鮮語およびその前身の新羅語に似た単語は少ないとされていますが、高句麗語の僅かに残った数詞が日本語と類似しているそうです。高句麗はかってマンチュリアで強勢を誇った扶余の別派とされており、百済の王室もそれと同祖なので、日本語は今はなき扶余語派の生き残りかも知れませんね。日本語の唯一の姉妹語が沖縄語です。その特徴は基本母音がアイウの3つで、エ行はイ行に、オ行はウ行になります。またキが口蓋音化してチになります。したがって、オキナワはウチナーになります。動詞の活用は、日本語とは別の形から発達したもので、対応していません。十四〜六世紀に日本、中国、東南アジアの間の中継貿易に活躍しました。

中国語、特に普通語(9.3億人)は世界の五人に一人がこれを話している最大の言語です。古典語である漢文については学校で習っているし、現代語についてもいろいろな学習の機会があるので興味のある方はその特徴をよくご存じでしょう。中国語は声調言語、すなわち一音節毎に高低アクセントがあるので、四声を叩き込まないとものにはなりません。ただし、中国語の専門文献を読むだけでよい場合は、基本的な構文と表現を覚えれば、後は漢文と専門用語の知識だけで何とか読めます。もっとも、同じ語が動詞にも名詞にも使われるので、複雑な文章では中国人でもよく構文解析を間違っていますが。昔の中国語は子音語尾がm、n、ng、p、t、kの六種類ありました。普通語には、そのうちnとngしか残っていませんが、南方の諸方言にはもっと残っており、広東語では完備しています。中国語の歴史では、音韻史が面白く、カール・グレン以来古音の復元が進められ、漢代以前から現在までの音韻の変化が個々の漢字についてもほぼ記述できるようになりました。大きく変化したのは、五六世紀の南北朝時代と金元時代で、いずれも北中国に北方の遊牧民が大挙侵入した時代です。方言の話をしますと、官話(マンダリン)と呼ばれる北方方言は、中国語の話者人口の八割以上を占め、東北地方から、新彊、四川にまで及ぶ広い地域に分布し比較的類似しています。北方官話は河北省から東北地方に広がり、西北官話は陜西省から甘粛、新彊に広がり、西南官話は湖北省から四川、雲南に広がり、下淮官話は南京付近で話されています。一方、南方には、上海、蘇州を中心とする呉語(6500万人)、福建省の廈門を中心とするビン語(5000万人)、広東を中心とする粤語(6500万人)があり、それぞれ数千万人の話者人口を擁し、台湾、香港、シンガポールでも話されています。いずれも北方方言よりは古い形を残しています。なかでも客家(3400万人)は、福建省と広東省の省境付近の山中を中心に各地に広がり、四世紀初の動乱以降に何度かにわたって中原から避難してきたと伝えていますが、漢民族の正統な後継者と自認し、トウ小平やリークァンユーなど政治家や軍人になる人も多く、最近注目されています。中国語は、シナ・チベット語族の一派と認められており、漢字とチベット語の数詞の古い形を比べてもよく似ています。歴史的にも、周が羌族と深い関係を持っていたことは太公望伝説などでよく知られています。

シナ・チベット語族(360語)のうちチベット・ビルマ語派(345語)(6200万人)は、中国西南部、チベットからインドシナ半島西部、ヒマラヤ東部南麓にかけて分布しています。この語派の主なグループを北から挙げていくと、まず湖北、湖南、四川の省境に土家語(300万人)が話されています。他の同族と離れて東北に突出したこの土家族は、紀元前四世紀末に秦に滅ぼされた巴国の後裔と目されています。最近縦目の仮面で???話題になった三星堆遺跡の主かも知れません。次に四川省西北部に羌語等の小語群があります。タングート(ミニャク)人は北の寧夏省に移って西夏を建て、西夏文字を残しましたが、その故地に残ったものと目されている木雅ムヤ語も最近発見されました。陜西省西部、甘粛省南部からこの四川省西部に及ぶ地域は古代羌族の地でした。漢代にその一首領が朝廷に献じた歌「白狼王歌」の漢字表記と漢訳が残っており、ロロ語に近いそうです。次に雲南省には、ロロ(イ)語(700万人)のグループ(43語)があります。ロロ族は雲南省および四川省と貴州省の隣接地区で漢族を除く最大の民族で、雲南にはハニ(120万人)、ラフ、リスなど親縁の諸民族も分布しています。七世紀に唐の後援を得て諸国を統一し南詔国を建てたのはかって言われたようにタイ族ではなくこのロロ族で、それに協力したパイ族(旧称民家)(120万人)がその後継の大理国を建てました。この国はやがて元の属国となり、明に滅ぼされました。この大理国は、滅亡まで朝鮮半島とよく似た運命を辿り、漢文化を基礎に民族文化を発展させてきただけに、民族国家として生き残ってもおかしくない地域でした。パイ族はロロ系とされていますが、古くから漢化が進んだ民族でした。ロロ語とナシ語には独自の象形文字があり、ロロ文字は最近整理されて、ロロ語文献の出版や教育にも使われています。これらの言語には、母音に緊張音と弛緩音の二系統の区別があります。

検索
Google


WWW を検索
サイト内を検索