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外国語の散歩道

北アジア

まずアジア大陸の北の端から。シベリアの言語で他のグループと関係が認められないものは、旧シベリア諸語と総称されており、これには、チュコト・カムチャツカ(ルオラヴェトラン)語族、ユカギル語、ケット(イェニセイ・オスチャク)語があります。サケマスの漁獲やトナカイの狩猟遊牧を生業としてきた民族です。前者には、チュクチ半島、カムチャツカ半島のチュクチ語、コリャク語、イテルメン語があり、後二者も数百年前にはいくつかの姉妹語があり、今よりずっと広い地域に分布していました。広義にはサハリンのギリヤーク語とアイヌ語もこのグループに含まれます。どちらも抱合語ですが、語順は日本語と変わらないので、いい教科書さえあれば近づきやすいものです。アイヌ語は御存知のユーカラなど豊かな口承文学を残し、文字こそ使わなかったが、標準化された口頭文語が成立していました。萱野茂さんは参議院でアイヌ語で演説されましたが、これは近代語として発展できる可能性をも示すものです。

その南には、いわゆるアルタイ語族(65語)が分布しています。ツングース語派(12語)(17万人)のうちエベンキ語(3万人)は姉妹語のエベン語と共にイェニセイ河からオホーツク海まで広い範囲に分布し、中国の鄂温克(ソロン)語もその方言です。他のツングース語はアムール河の下流から河口部に分布しており、そのうちオルチャ(ウルチ)人はかって蝦夷錦などオホーツク海貿易で羽振りを利かせていた山丹人の後裔です。金朝(1115-1234)を建てた女真ジュルチン人と清朝(1616-1912)を建てた満州人もツングースの一派です。女真語は満州語とよく似ており、また漢字をまねて作った女真文字は、金が滅んで二百年以上も経った十五世紀半ばまで使われていました。満洲語は、蒙古文字を改良した満洲文字で書かれ、文学こそ見るべきものはありませんが、多数の漢籍を翻訳すると共に大清帝国の公用語として大量の公文書を残しています。尤も満族が文才に欠けているというわけではなく、紅楼夢の作者曹雪芹や近代文学の先駆者老舎など中国文学で活躍した人は沢山います。現在も満洲語を話す人は新彊に移住した錫伯シボ族1万人(9万人)以外には東北(マンチュリア)地方辺境の古老だけですが、近年中国の民族政策の手直しに伴って満族を名乗る人が激増(1978年の265万人から1990年には982万人)する中で、満洲語の学習研究の気運が高まっています。文法は簡単で、文字もモンゴル文字に比べるとずっと楽です。徳野さんが北九州中国書店から満洲語の教科書、文法書、読本の訳本を出され日本語で容易に学べるようになりました。愛親覚羅烏羅熈春著 徳野伊勅訳 北九州中国書店 1988年刊 満語読本(入門書)満語語法(文法書)満族古神話(対訳)

モンゴル語(13語)(65万人)については、モンゴル共和国の外モンゴル=ハルハ語(600万人)と内蒙古の蒙古語は、発音の一部が ch → ts 変わっているくらいで外来語以外はほとんど同じですが、外モンゴルでは五十年前にキリル = ロシア文字を採用したため、今モンゴル文字復活に苦労しています。モンゴル文字は、内蒙古ではずっと使っていますが、日本語で言えば濁点なしの旧仮名遣いのようなもので、昔の発音通りに書く上に、清濁を区別しない子音字や最大4種の母音を同じ文字で書く母音字があるため、一語づつ綴りを覚えなければ書けません。発音も母音の区別が難しそうですが、文法は日本人にとって簡単です。モンゴル人の祖先は、鮮卑、室韋と考えられ、遼朝(916-1125)を建てた契丹もその同族です。チンギスハン以前の本拠地はモンゴリアではなくその東境興安嶺の周囲でした。モンゴル語派のうちで、遠くボルガ河口のカルムイク語(15万人)は、新彊のオイラート語と同じで、モンゴル語との違いは僅かです。ブリヤート語(42万人)もよく似ていますが、人称変化するようになりました。他にも中国甘粛省青海省などで土谷渾トヨクコンの後裔と目される土族(チャガン・モングオル)語(17万人)などやや違いの大きい古い言葉がいくつか話されており、マンチュリアのダウール語(10万人)も古い特徴を持つため契丹の末裔と見なされたこともあります。大興安嶺東麓は植物地理学でダフリアと呼ばれますが、これはダウール人に因んだもので、ダフリアカラマツなど有名です。

アルタイ語族にはもう一つチュルク語派があります。歴史学や言語学では小アジアのトルコ共和国と区別するため中央アジアなどに広がるその仲間全体をチュルク(テュルク)と言っています。先祖は西モンゴリアのアルタイ地方に住んでいましたが、大部分は西に移動しイスラム教徒となったので、西アジアのところで扱います。ただし、故地の近くには、トゥヴァ人(18万人)、ハカス人、アルタイ人などが住み、北の東シベリアにはヤクート(サハ)人(35万人)が住んでいます。遊牧民のヤクート人がシベリアに進出できたのは、馬にサケマスを食べさせるようになったからです。

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